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■花見の前にサクラの雑学 ★サクラの開花前線が北上している。3月5日に気象庁が今年初のソメイヨシ ノの開花予想を発表したが、ほころぶ日が待ち遠しい。花見といえばサクラ をさすほど日本人に愛されている花だもの! 今回はその歴史や文化を探っ てみた。 サクラが文献に桜という名で明確に記載されたのは「日本書紀」が最初。「万 葉集」では詠まれた歌の数ではウメの方が2倍以上もあり、サクラとウメの人 気が逆転するのは平安時代の「古今和歌集」からだ。これ以後、“花はサクラ” という概念が定着したようだ。 公家の時代が終わり、武士の時代が始まると散り際が潔いと解釈されて“花 はサクラ、人は武士”となり、その観念は軍人の精神となって第二次大戦まで 続いていく。 さて、今では飲めや歌えの宴会花見が盛んだが、花見のルーツは野や山に咲 いているサクラを見ての「作柄占い」だ。豊作を願う農耕民族らしい風習だが 実はサクラの名前も「サ」は田の神(穀霊)、「クラ」は神座を意味する。時 代が進むと、貴族や宮人の「花の宴」となっていく。 豪華絢爛な花見で有名なのは豊臣秀吉の「醍醐の花見」だが、その後も長く 公家や武家など上流階級が愛でる花だった。そんなサクラが庶民の花になった のは江戸時代。八代将軍・吉宗が隅田川堤や飛鳥山(東京都北区)にサクラを 植えて庶民に花見を許したからだ。こうして弁当と酒を持って木の下に繰り出 すのが庶民の楽しみとなり、江戸では「花見」「両国の花火」「芝居見物」が 三大娯楽となった。 ところで、1750年頃まではサクラといえばヤマザクラを指していた。その約 30年後にはヤエザクラが人気を独占し、私たちが見ることの多いソメイヨシノ は生まれてはいたが注目されることはなかった。明治に入って、染井の植木屋 が「東京に居ながら吉野の桜が見られる」という宣伝でソメイヨシノを売り出 してから全国各地に広まった。実はソメイヨシノは歴史の浅いサクラなのだ。 ちなみに、日本の国花・サクラは花と葉が一緒に見られるヤマザクラだ。 もうすぐ各地で始まる花見は麗しい日本の風習だ。しかし今、花見は酔うの が目的で、花を愛でる心が失われているような光景もみられる。花見は行儀よ く、穏やかな心持ちで楽しみたいものだ。 |
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